あれから8年。これほどまでに日本人の脳に刻まれた日付はありません

震災から数えて8年。もう8年経つのかという気持ちがあり、3.11は日本国民の脳の隅々まで浸透したと確信していることです。3.11以降熊本でも地震がありましたし、中越沖地震や北海道の奥尻島などでも地震がありました。しかし、そのいずれも日にちまでは覚えていません。

3月11日という意味はその日付とともに地震津波原発という事故が直結しイコールになっているのです。もちろん熊本などで被災さられたことは、その日付から時間分まで覚えてるでしょう。しかし、被災地から遠い私にはそれほどまでに日付は需要ではありません。それなのに3.11は震源地から遠く離れた私の中でも日付として記憶されています。

それほどまでに恐怖だったのでしょう。記憶に残ることは恐怖と関連付けるとより良く脳に残るらしいです。恐怖心は記憶に残りやすい。みなさんの土地はどうだったでしょう。日本中が震撼したのではないでしょうか。孤軍奮闘しし恐怖している暇もない人もいるでしょうが、どこかで恐怖を感じていたと思います。

未来へのその不安感から誰も脳に焼き付いたのではないでしょうか。当時皆さんは何をしていましたか。私は震源地から遠く離れた家に住んでいましたので、テレビの生放送でその状況を教えていました。しかし、その一方が入るとともに遠く離れた地でも船のように揺れている感覚に陥るほどゆっくりと揺れていたの覚えてます。

ちょうどフェリーなどに乗るように大きく上下に揺れる感覚。その感覚が1時間ほど続いていました。その体験は数百キロ離れた場所でも感じたのでこれは相当大きな地震だと確信したのです。地震による倒壊の恐怖の後に、しばらくすると津波の映像が流れ、津波に対する恐怖。

この津波でほとんどの恐怖心は持って行かれたと思います。これで終わりかと思いましてが、さらにその上を行く展開が待っていました。そう、原子力発電所の事故で石巻が火の海に包まれた映像などよりさらに上を行く恐怖心を与えたのです。倒壊津波原発による被害により3段階の恐怖心で完全に日本が恐怖のどん底に突き落とされたのです。

非常電源が繋がれば治るという楽観。メルトダウンなど起きるはずないという、格納容器を過信した楽観論。結局放射能デブリで地面まで到達して、今なお、だらだらと放射性物質を垂れ流しています。当時はヘリコプターで水を垂らしたりといろいろ試行錯誤していましたが、それでは到底及ばない人間の無力さを感じることができたのではないでしょうか。私たちは日本人はこの先死ぬまでに3月11日は8月15日ぐらい脳に刻まれるのでしょう。